クリスタルのブログ

ミクロとマクロの観点から、王国の文化を理解し、イメージを膨らませていくことを目指すブログです。

見せかけの実績を誇る裸の王様的家庭連合

実は、家庭連合との善悪の闘いは私がサンクチュアリ協会に来る10年ぐらい前からありました。なぜなら私は女性連合で副議長・事務局長という立場で歩んできましたので、どんな状態だったか皆様の中にその構図が浮かぶのではないかと思います。


地元の家庭連合に矛盾したことや理不尽な出来事がたくさん起こっていたとしても、他にお父様に繋がるところがなかったので、本体である家庭連合に留まるしかなかったのです。


ですから亨進様が迫害を受けながら正しい事を「沈黙を破って」「天の宣布」などで、堂々と発信されていることを知った時、心から今までのすべての事が腑に落ちました。
お母様と幹部からしてお父様を裏切っているのですから、これではおかしいはずだとすべて納得できたのです。


正直間違った家庭連合に何の未練もありませんでした。これだと思って後先考えずに主人と共に「お父様の権威に戻る祝福」を受けさせていただき、亨進様のもとに飛び込んで行きました。


驚いたのは家庭連合の誰かがその時の様子を何処からか撮影していたようで、「あなたたちの写っている写真が出回っているわよ」と親しい家庭連合の姉妹から聞かされた事です。そして次の日には地元の家庭連合で私達夫婦の事が問題となり、殆んどのシックからの関係が即座に断たれました。交流しないようにと、まるで腫物に触るなと言わんばかりの警戒情報が張り巡らされました。


そのような現実を突き付けれましたが、退会届を出した後からは特に、毎日の生活の中でさまざまなひらめきや発想を与えられ霊的な恵みに満ち溢れているのには、正直本当に驚きました。今までとの違いが歴然としました。どんなに感謝しても足らないぐらいの恩恵を与えられているのは、私だけではなくサンクチュアリに来た皆様もそのように感じていらっしゃるのではないでしょうか。


今まで私は女性連合で歩みながら、山程の理不尽な事を体験してきました。
今こうしてブログを書くように導かれましたが、何故今まであんなにたくさんの迫害にあってきたのか、それはこうして今このように書いて家庭連合の組織の体質や、神様を抜きにした人間的な運営など、皆様に知らせる使命の為に経験してきたのではないかとさえ思えるようになっているのです。そのすべてが神様のご計画だったのではないか?と


前置きが長くなってしまいましたが、今日記事にしたいのは、タイトルにした「見せかけの実績を誇る裸の王様的家庭連合」の体質です。


実は地元の家庭連合で驚くべき架空の水増し報告が継続的に行われていたのです。
自分たちがやっていないことをやっているように報告するのですから、どこかの政治家がする不正と体質的には同じだと思うのです。


誤解があってはいけないのでまず説明しますと、それは数年前ですがS教会長の時にずっと行われていました。その後に来られたO教区長の時は、さすがにそれは良心が許さなかったのでしょう。それはされませんでした。


偽りの水増しをしていたのは、伝道についての報告です。
ご存知のように家庭連合は献金作りに必死ですので、地元では伝道は5万円貰って始まった伝道部隊(CIG)の他には伝道活動を定期的にやっている人がいませんでした。その時もCIGはお母様の愛だと説明されましたが、何となく感性的におかしいと思いました。なぜ伝道するのにお金を出すのかと?確かにお金が出ればそれに乗って歩む人もいるでしょう。でもそれで条件になるのだろうか?と疑問でしたし、案の定ある姉妹は5万円では食べていけない、だからCIGには参加しないという始末でした。一体何の為にみ旨を歩むのか疑問になってしまいます。神様の為なのか、自分の利益の為なのか?


以前お世話になった女性連合のことを言えば、お金など貰わなくても(実際は歩めば歩むほど持ち出しになっているのですが)お父様の基盤を作りたい一心で、それでも楽しくみ旨を歩んでいました。いつも上下関係みたいな家庭連合には心からの兄弟姉妹としての交流が難しいと思うのですが、女性連合では何でも感じたことを言い合える自由な雰囲気がありました。ですから正直お金をもらいながらの、上から目線の家庭連合の方たちには絶対に負けるわけないと思って歩んでいましたから家庭連合のスタッフからするとさぞかし気に入らなかったことと思います。


もちろん、女性連合の議長や顧問(777双)の方、また1800双のお姉さん方などとも基台を組んでいましたし、本質的な会員やシックの方などで力を合わせて基盤作りの為に闘っていました。その女性連合の基台は地元の家庭連合からすると、自分たち(家庭連合)に主管されないやり方で伝道をしようとするので、中心の言われる通りにしている家庭連合のシックたち以上に実績があると困るため、いろんな卑劣な手段をも使って邪魔をして、自分たちが優勢であるように偽り続けなければなりませんでした。


私達(女性連合のことです)は新規を育てるために長い間セミナーをたくさんしてきました。しかし地元の家庭連合のスタッフは女性連合でやったセミナーの実績を自分たちがやったこととしてずっと家庭連合本部に報告し続けていたのです。それが分かった時にはさすがに唖然としましたが今までの家庭連合のスタッフたちの経緯からして、そのくらいのことはやるだろうと納得もしました。


そんなことまでするのなら、「女性連合のやり方を取り入れて伝道してみたらどうですか?」とある区域長の方が率直に会議で意見を出したら、スタッフたちが一斉に反発し、発言した区域長を睨みつけたそうです。その時の様子を「怖かった」と話していました。


その偽りの実績報告は女性連合の議長や副議長を通さず、女性連合の先輩家庭のお姉さんに伝道部長が自分の悩み事を相談するようにして電話をかけ、話の最後に必ず、「ところでセミナーはどうだったんですか?」と聞いて、セミナーの様子や、参加人数、またそのゲストの様子などをうまく聞き出しそれを家庭連合の伝道の実績報告書に記入して本部に報告し続けていたのです。そのお姉さんも分かっていたのですが、姉妹がやっている事なのでと大目に見ていたのです。そして私達も自分たちのやるべきことをすればいいので、もちろん呆れてはいますが、それを突いたところで反省する相手ではないことは分かっていたので、そのままになって時は流れていきました。


S教会長は3年程地元の家庭連合にいましたが、その間いつからそれが始まったかは定かではありませんが、少なくとも2年以上はその嘘の報告を良しとして注意もせずにさせていました。自分の評価を上げたい為に、教会長も婦人部長も伝道部長も暗黙の了解(グル)でそうしていたのです。もしも神様の為にというのなら架空の実績など作り出す必要などありません。他県の家庭連合でもこんなことがあるのでしょうか?それとも地元があまりにもひどすぎる実体なのでしょうか?


裸の王様のように実際は裸(架空)の実績でも本部も同じ体質なので、このようにお母様に対しても今でも裸(架空)の実績(見せかけの実績)を報告し続けているのでしょうか?


伝道部隊(CIG)の方がたまに文化センターに連れてくるぐらいで、そのつぎのアポがなかなかとれなくて苦戦しているそんなさなかの出来事だったのです。


婦人部長が「教区長の願いは・・・と言いながら自分たちの言う通りにしてくださいね。」とシックたちに暗黙の要求をします。「言われた通りにすると運勢がいいのよ」という宣伝をするのはいつものことです。


また伝道部長が礼拝の後のお知らせで伝道の報告をするのですが、皆の前で教区長をよいしょして、何か調子のいい美辞麗句を並べるのですが、いつもシラケて聞いていました。女性連合の実績を家庭連合本部に報告しておきながら、(さすがに礼拝後の報告では、女性連合の活動したことを報告することはありませんでしたが、)一体どんな顔をして私達の前に堂々と立てるというのでしょうか? (伝道部長が個人的に嫌いとかでは決してありません。ただそれば間違っていたと思うのです。)


伝道部長などの報告は、このような偽りが有るせいなのか分かりませんが、私の心には何ひとつ響いてこないのです。
見せかけの実績にこだわってよく評価されることにこだわって、イメージ作りにこだわっって、権力作りにこだわってしまった結果、神様から遠く離れて、偽りの家庭連合になってしまっていたからです。



下の写真は、私のお気に入りの一枚です。これは、2012年7月頃に撮影したのですが、あまりにも美しく微笑ましい亨進様とヨナ様のお姿です。見ているだけで引き込まれます。家庭連合の方たちも、今でも亨進様のファンが多いのもうなずける写真だと思うので載せさせていただきます。



実は退会届を出した後、この写真と手紙とDVDを作って家庭連合の方々に配りました。
その手紙は、日本サンクチュアリのサイトに掲載されています。
少しでも亨進様の愛の香りを感じ取って欲しかった為です。DVDにはお父様のお顔を印刷しました。少しでも読んでいただくために工夫して捨てられないように考えたのです。真実に気づいて欲しい一念でそうしました。しかしそれらのほとんどは数日後には家庭連合に集められていたのです。



最後に亨進様の2016年3月6日の説教から引用します。


私達は外向けに偽りの幻を作るのではなく現実の天一国をつくる者たちです。
イメージ作りなどに関心がありません。現実の自由と責任に関心があるのです。
真の自由と責任を持つとき、真の自由社会と誰もが満足できる関係性を手にすることができるのです。そしてその文化の中で生まれた善と博愛の根である神様を求めていくのです。神様こそ私達の社会の道徳の中枢神経です。



見せかけにこだわって、神様の心情から離れてしまったら、そこに何の意味があるのでしょうか? 私達サンクチュアリでは、影のない生活、正午定着の生活を心がけ、自由と責任で神様が願われる王国の文化を作り上げたいものです。



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