クリスタルのブログ

ミクロとマクロの観点から、王国の文化を理解し、イメージを膨らませていくことを目指すブログです。

信仰の飛躍? 「天運と神様の心情を運ぶお父様」

麗らかな春を迎える季節となりました。
心も踊るこの時のはずですが、世界情勢は依然として緊迫に包まれています。


こんな時節柄、私達ひとりひとりがミクロとして何かを掴んで信仰的に飛躍出来たら、世界情勢が神様の願う方向に少しでも変わるのではないだろうか?という思いを込めて幼い私の信仰が飛躍出来た時の経験を書いていきたいと思います。


それは後々の私のアベルカインの捉え方を変えた出来事となりました。
当時は少しの変化と思っていましたが、今考えると私にとっては大きな飛躍だったと思える事となっています。



私達は代身者相続者は亨進様であると気付いてサンクチュアリ協会に来ました。
世界情勢に影響が及ぶミクロとして、私達は内的信仰的な勝利を天にお捧げしなければならない重要な立場に立っている事と、神様の摂理歴史的にも大変重要な時を歩んでいることは私達の共通の認識です。


そこで、まず初めに家庭連合時代の何が失敗だったのかを考えてみると、そこには、様々な不信仰の数々があると思うのですが、一番の問題は、やはりアベルカインの失敗が大きかったのだろうと思います。
お父様が「日本のアベルカインは間違っている」と何度も語られてきました。


そのポイントは、主従関係のようなアベルカインだったからと考えられます。
アベルは自分を神様の如くに捉えてカインに絶対服従を願ってしまったこと・・
カインはといえば、そのアベルという人間に絶対信仰するようなカインに成り下がってしまっていたこと・・・


そこで、私がアメリカに行ったからこそ見えたアベルカインの日本人との違いを書いてみたいと思います。 アメリカでも日本人がたくさんいて、リーダーも日本人が多かったし、
それぞれのミッションで中心になって摂理を進めていたのは日本人でした。
(その日本人のもとに、欧米のリーダーがいることが多かったのでした。)


私が渡米した頃は、ビデオによる牧師伝道が終わっていた頃で、コンストラクションや、デコアマーケティングや、日本レストラン、ファイバーグラスのボート、海洋摂理に関わるビジネスなどと、それぞれの地域にあるチャーチが主なミッションだったと思います。


私はそのアメリカの地で日本にいた頃とは明らかに違うアベルカインの姿を見ることとなったのでした。
日本人なら、アベルの言った事は絶対です。逆らったり、言われたことをやらないなんてとんでもないことでした。しかし、アメリカではアベルのいう事を聞かないなんてこと日常茶飯事として起こっていたのです。


日本人なら、口答えなんて皆無に等しいぐらいありません。たとえ心の中では葛藤があったとしても態度にまでは表しません。ところが、ウェスタンのメンバーはとても正直なのです。思ったことが抑えられません。嫌な事は嫌です。
なので犠牲になって大変な仕事でももくもくとやって行けるのは日本人だったと思います。それ故に摂理が進んだし母の国から来た希望的信仰的な日本人としてある種の尊敬を受けていたこともあったかと思います。


しかしその一方で、日本人のリーダーたちは大変だっただろうと想像します。
何故ならば、日本だったら例えは血気怒気で指示を出したとしても、裁くような思いで命令したとしても何も言わずに食口たちは動いてくれます。


しかし、ウエスタンのメンバーにはそれは通用しませんでした。
愛があっての言葉であれば指示通りに動いてくれますが、そこに理屈が通らなければ動いてくれません。もしくは愛した土台があれば命令しても従ってくれますが、それがなければ逆らったり知らんぷりをしたり・・と、態度ではっきりと表してきます。
正直に生きることが彼らの美徳と考えられているのです。


嘘を付かない代わりに、従いたくないのに信仰的に見てもらおうとかもありません。
やりたくなければやらないし従いたくなければ従わないのです。はっきりしていました。


少なくとも(8年間のアメリカでの生活で)逆らって動かない場面や、言い争う光景を何度も見て来ました。
私はと言えば、日本人としてやはり逆らえずにいましたが、実はそんな正直な彼らがとても好きでもありました。私の性分に合っていたのかもしれません。


そんな私でしたがある時、アベル側の人間にはっきりと逆らってしまいました。
それは、少し前にも触れたのですが、公文式のような方法で、ご子女様や777双のお子様たちの教育に携わっていた時の事です。一見すると、周りが羨むような華やかミッションだったと思うのですが、私にとってはそれが苦しくて仕方がなかったのでした。


私はそこでのやり方にどうしても納得がいかなくて遂に人事を申し出ました。
これ以上は無理です。出来ませんと・・・初めて自分から根を上げました。
今までの信仰生活で初めての事です。
それまでの私は、難しい時でも「神様どうしたら良いのでしょうか?」と尋ねながらやってきていました。すると夢を見たりして、お父様に愛されて、勝利するポイントを教えられたりして、心情的に乗り越えた時に人事になって来ました。
それは、いつもどんな時でも神様の人事だったと思えていました。


ところが、その時は神様からの人事ではなく自ら無理矢理に方向を変えたという感覚でした。私自身から神様の意向だったであろう私に与えらていたミッション(責任分担)に対して自らの思いで方向を変えてしまったからです。


その時の私の焦燥感を今でも私は覚えています。


ついに自分から言ってしまった。出来ないと根を上げてしまった。
勝利感が何もないままに人事になってしまう。
これで本当に良かったのだろうか?
これからの私は今までのように神様と共に居られるのだろうか?
神様が呆れて、私の所から去ってしまうのではないだろうか?
いや、もうすでに神様は去ってしまわれたかもしれない・・・
等々、いろんな事が不安になりました。



何の勝利感もないままに、人事になったところは、アラバマ州でした。
イミグレ問題の一番厳しい地域です。
こんな私はアメリカには必要ないと、すぐに捕まって日本に帰されてしまうかもしれない。
きっとそうに違いない。そうなったらそれで仕方がない。
とそこまで決心しながら私は、新たに与えられたアラバマの地に行ったのでした。


見知らぬ地へ・・・・こんな悲惨な、希望の持てない心情で・・
たったひとりで行った私は孤独そのものでした。


ところが、その行った先の兄弟姉妹から今までに味わったことのない温かさに出会ったのでした。今から思うと南独特ののんびりした雰囲気が私に尚更そう感じさせたのかもしれません。

(後ろに見える建物がマスターマリンです。そこでの兄弟姉妹たちとの写真です。)


私の新しい責任分担は、アラバマでボートを作っているマスターマリンの兄弟たちの食事を作る事でした。それまでの私はやっている事は華やかだったと思うのですが、毎日毎日アベルから否定され続けて、心情がめためたに傷ついていました。
あの時は今考えてみれば、まさに主従関係の奴隷みたいな状態だったと思うのです。


ところが、そこの兄弟たちは、私が料理に慣れなくて、肉を焦がしたり、味付けに失敗したりしても、「美味しい美味しい」と言ってたくさん食べてくれるのでした。


そんな兄弟の姿に私は日々本当に癒されて行きました。
一か月ぐらいたったころでしょうか?私は段々と、あれ?離れてしまったと思った神様はまだ私と一緒にいてくださっているのかも・・・と感じて始めていました。
    


(ファイバーグラスのボートに自ら上がり指導されているお父様)


そんなある日、お父様がボートの視察に来られたのでした。
それは、1990年頃だったと思います。Alabama (アラバマ)州のMobile(モービル)郡のBayou・la  ・Batre(バイユー・ラ・バトラ)という町にあるMasterMarine(マスターマリン)のボート工場での出来事でした。
その頃のお父様の一番の関心事であったファイバーグラスの最初のボートでした。


お父様は、ご自分で自らひとつひとつを確かめるようにボートに上られてみたり、また設計図を指差しながら細かな指導をメンバーにされていました。

(設計図を見ながら、細かな指示を出されるお父様とマスターマリンのメンバー)


私はといえば、真剣そのもののお父様とはまったく異なる心情圏で無邪気にはしゃぎながらお父様の後をついて回っていました。


そんな私に突然神様の声というか、神様の思いが飛び込んで来たのです。
「わたしはいつもあなたと一緒にいて、どんな時もあなたから離れない。いつだってあなたの応援をしているんだよ。」と・・・


それまでの私の心情「自ら人事を申し出たこんな自分勝手な私は神様にも見放されてしまったのではないか・・天運がなくなってしまったのではないか・・・」と葛藤しながら歩んでいた事をすべてご存知だったのです。


真剣そのもののお父様の後ろを無邪気に追いかけている私)


次の瞬間、私は体中が熱くなりました。
そして、ああ、この恵みは、お父様が運んできてくださった天運であり、与えてくださった心情圏なんだ」と確信しました。


すべては、私の心の中の出来事でしたが、その時お父様の背中から、さらなるお父様の
「そうだよ。良くわかったね。だからもう寂しくないんだね。いつも一緒だから、頑張って歩むんだね。」という思いがまるで会話をしたかのように確実に伝わって来たのでした。
感謝の涙が溢れ出て、お父様の偉大さを実感した体験となりました。


この体験が私の信仰生活の土台を変えました。
それまでの私は、アベルを神様のように慕っていましたし、神様の愛もアベルを通して感じとっていました。神様と自分の間にアベルをおいていたと思います。
ですから、分からない事があれば、まずアベルにどうしたら良いかと尋ねていました。
信仰を持つようになった初期段階からそのように教育されてきましたしそのような癖が身についていたのです。


しかしこの体験を通して、自らが神様と一緒だから・・・何でも自分で神様に尋ねて解決していくようになりました。
そして、その時から私の決断を神様も尊重して応援して下さっている・・・・
例えどちらであっても神様は一緒にいてくださっている・・・
という風に思えた事が、信仰的な大きな起点であり飛躍できた出来事だと感じています。



それにしても、本来の兄弟姉妹としてのアベルカイン
アベルはカインの中に神様を見て、カインはアベルの中に神様を見るような本来の関係性を勝利したいものです。



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