クリスタルのブログ

ミクロとマクロの観点から、王国の文化を理解し、イメージを膨らませていくことを目指すブログです。

神様が人間に与えた「感性」を信じて生きる事

寒さも少し和らいで、春一番が吹いたようですが、皆様いかがお過ごしでしょうか?
実は、書きたい事が定まらずに数日が流れてしまっていました。


その間、2021のラインの閉鎖を巡っていろんな意見が飛びかっていました。
何故今頃の閉鎖なのか?と考えると、澤〇さんの設立された財団の影響を避けたいのだろうと憶測をする方は良し悪しどちらにしても多かっただろうと感じさせられていました。


そんな中で私の個人ラインに連絡をくださったり、このブログを楽しみに読んでいるなどの温かい姉妹の言葉に励まされた数日でもありました。
日々の皆様の応援本当にありがとうございます。



さて、今日は、神様が人間に与えた感性について記事にしたいと思います。


皆様は、兄弟姉妹の心ない言葉につまずいたことはありませんか?
特にアベル側の人間の何気ない一言が胸に突き刺さってその棘が刺さったまま抜けていないということはありませんか?
長い信仰生活の中で食口なら誰もがそんな経験は多々あるのだろうと想像します。


つい最近でも、家庭連合を離れてしまった食口を伝道していて、菅〇さんのブログを紹介して一緒に勉強することになっていました。
2009年12月「霊連世協会」の公表から10年を経てお父様がその天宙のシステムを教え始められた!(機械音声) - YouTube のシリーズです。


そして暫くすると、「前の教会時代の嫌な事を思い出すので辛すぎて今は勉強できない」と言ってきたのです。また、他の姉妹も「責任者からの言葉が痛すぎて思い出すのも嫌だ」と言ってその事を語ることも出来ないほどに傷ついているというのです。
皆様の中に未だに解けていないそんな傷ってありませんか?


考えてみれば、離れて行った方達は、原理に躓いたわけではなく、話を聞けば聞くほどに人間につまずいて離れた方が多いのが悲しいかな現実のようなのです。



私自身はどうか?と振り返ってみました。
実は私にもそのような体験がたくさんあるのです。


まず、第一の試練の言葉・・それは1980年のみ言葉を聞きだしたばかりの頃です。
私は3年働いて献身しましたが、その2年目の頃の事でした。
霊石(壺)の展示会に動員されて、私は「先祖がこの壺に・・」みたいなトークで、私の2年間働いて貯めた全財産で、その時壺を授かりました。
しかし、後で違う形の壺(高麗型)が私の手元に来たのです。


「これは、私の授かった物と違います。」という私の必死なる訴えにその時のアベルは、
「あなたは、もうみ言葉をきいてるのだから、そんなことはどうでもいいでしょ。」
と言ったのです。


私は全てが崩れて、今までの貯金が一気に無くなってしまった・・
私はやはり騙されたんだ・・この道から早く離れた方がいい・・・
と何度も何度も思ったのですが、その時まで私を教育してくださっていた地区教会のアベルを信じることが出来たので辛うじて離れずに済んだのでした。本当に危なかったのです。
よく残れたものだと今でも当時の記憶を辿ると恐ろしくなります。


それから、19年の歳月が流れてからのある霊的体験を通して私はやっとあの時,
間違って「私の手元に来た壺こそが神様が私に授けたかった壺だったのだ。」
と思うことが出来るようになりました。


その当時のアベルに人間的な間違いを犯させてまで神様が私に与えてくださった壺はこの壺なんだと悟れた瞬間に、19年間ひたすら思い出さないようにしていた躓きからやっと解放されたのでした。それまで私は誰ひとりとしてこのことを語れませんでした。
私も躓いたままでしたし、兄弟姉妹まで躓かせてしまうような出来事だったからです。


その時までは実家の押し入れに眠っていた嫌な事を思い出す恩讐だったような壺でしたが、やっと私はその壺を愛することができるようになったのでした。
よくよく見てみば、その霊石には不思議な事にご子女様のような、主人のような顔がくっきりと顕われていたのでした。しかもお父様のお写真の後ろに飾られている壺とそっくりだったのです。


そして私の奥の奥の心情を縛り付けていた恨むような心から解放されることができたのでした。なんとそれが解けるまで19年もかかっていたのです。




また、献身したばかりの頃私は、ある時国際機動隊に志願しました。
地区で実績でも出ていたら、そんな志願も通らなかったと思うのですが、当時の私は信仰も確立されてなく、ペアで前線しても隣で眠っているような状態だったので、すんなり人事になれたようでした。(後から分かったことですが・・実績でも出ていたら難しかったようでした。)


キャラバンで朝5時半ごろから任地に降りて農家などの朝目覚めた頃から飛び込んで、夜の9時頃まで前線を歩みました。
最初3ヶ月ぐらいで、渡米するとの事でしたが、1年を超えてまわりはどんどん渡米して行きました。私は1年3か月になってもその兆しがありません。
たまらなくなって聞きましたら実績の出ている者はその隊長が渡米させないでいるというのです。(この時の私は全国でもトップの方で走っていました。)
その時ここでも実績中心なんですね?と思いました。


そして、やっと1年6か月ぐらいで渡米しましたが、アメリカでもやはりキャラバン生活でした。その頃の私は日本で朝から晩まで走って前線を歩んでいたので、体がぼろぼろで思うように前線が出来なくなっていました。
なので、キャラバンで3ラウンドあるのですが、私は2ラウンドだけ歩んでいました。
真ん中のラウンドは休んでいて、それでも実績としてはみんなと同じように出していましたので、そんな歩み方でも問題にされていなかったようでした。


そんな感じで1年以上が過ぎた時、いよいよ体が悪くなり、ある時フラワースタンドの看板も持てなくなりました。コマンダーが、医者に行くようにと言ってくれたのですが、
その時ある金額(20ドルだったか、100ドルだったか?忘れてしまったのですが、)を持たされて、「いくらかかるか聞いて、これ以上かかるようだったら、診察を受けずに帰って来るように・・・」と云われたのです。
私は、その冷たい言葉が今でも心に突き刺さっています。


神様のみ旨を優先するあまり、実績が大切な現場では人材は一つのコマのように扱われてしまうのです。悲しい事ですが・・・
そんな教会だったので、みんな結構離れてしまったと思うのです。
(今から冷静に思い返せば、本来の姿ではなかったわけです。)


私は、そんな・・・ひどいことって・・・といろいろな思いがぐるぐるぐるぐるしながら、医者に行った事を昨日の事のように思い出します。
もし、これ(手持ちのお金)以上に診察費がかかったら、私はどうなるのだろうか?
役に立たないから、日本に帰れってことかしら・・・?
など様々思いましたが、その時たまたまお金が足りたので、診察を受けることが出来ました。ホルモンの異常みたいなことでよく原因は分からなかったのですが、前線は難しいだろうから・・という事で人事になったのでした。
私はその時、まだ私をアメリカで用いてくださる神様に感謝しました。


そしてまた人事になり、子女教育の責任分担になった時の事です。
ご子女様に対して、またアメリカに住んでいる日本人の777のお子様たちに対して公文式のような方式で勉強を教える責任分担です。


一見華やかな責任分担です。
一週間に一度は、神山隊長のお家(ホワイト・ハウス )に泊まって、そこにご子女様たち、(ヨン進様、情進さま、栄進さま、亨進さまなど)もイースト・ガーデンから勉強に来られていました。

上の写真は当時、孝進様のご長男信吉様に公文式の数字合わせをしている様子です。

上の写真は、当時孝進様の長男の信吉様と公文式の数字合わせをしている様子です。


ところが、そこが地獄の日々でした。
勿論ご子女様にお会い出来る事は何よりの感謝な事であったことは間違いありません。
しかしながら、そのアベルのご夫妻に私は躓きまくっていたからです。
その教育方針についていけなくてアベルを尊敬できない私と、無理矢理従わせようとするアベルとの霊的闘いの日々だったのです。


その時までの私はアベルの発言に対して、例えおかしいと思っても無理やりアベル的に捉える努力をしていました。アベルと闘っても自分が苦しいだけなので、見て見ぬふりをしてきました。どうにかこうにか自分の心をごまかしてアベル的に思うようにしてきました。
そして、アベル的に思えない自分自身を責めてもきました。


闘ってしまう私がおかしいとして、どうして私はいつもカイン的に物事を捉えてしまうのだろうか・・・とずっと悩んできたのです。


しかし、この時のアベルが本当に分かりやすいアベルで、自分の気分で子どもを叱ったり・・・ご子女様に対してまでも然りでした。
こんな者たち(私も含めて言っています。)余りにも足りない者たちが、ご子女様に日本語や、算数を教えているなんて・・・神様どうしてなのですか?
と申し訳なくて情けなくて何度も何度も涙を流したものでした。


その時のアベルご夫妻は本当に分かりやすくて、明らかに私に対して意地悪をしていました。その心情の動機は明らかに悪いものだったからです。


その時あたりから私ははっきりと悟りました。
私が感じる感性は、合っているという事をです。
もし私がこの方は意地悪な心情でわざと言葉を言ったり、行ったりしたと感じるなら、
私の感じとる感性の方が合っているんだ。その通りなのだ・・・と
その気づきはその後の私の心を大きく解放してくれました。


何故なら、それまでの私は、どうしてこうもカイン的にしか物事を捉えられない私なのかと悩んできました。
物事を悪くばかり捉えたり感じたりしてしまうのだろうか?と悩んできたのです。
特にアベルからの言葉は、何か云われたら、私がその通りだと思って悔い改めなければならないと無理やり思っていたのです。
それはそれは苦しい戦いの連続でした。
だからそれまでの歩みはいつも葛藤の日々だったのです。


でもその責任分担の時にその分かりやすいアベルに出会ったことによって、私は自分の感性を信じて歩めるようになりました。 感じる心、感じ受ける心(感受性) 
人間には五感があって、目に見えることだけではなく、聴覚や味覚があって、音や香りを感じたり、感触でイメージを膨らませたり、人と話ながら、相手の事を理解する為に表情などから言葉では云わない心情を読み取ったり・・・
そのような秘密の力「感性」を神様が人間に与えてくださっていると悟って歩めるようになったのです。

1991年7月11日に写されたお父様と一緒に釣りをされた神山隊長の写真です。

上の写真は、1991年7月11日に釣りをされた時のお父様と神山隊長です。


その感性を磨いていくと、神様の心情まで辿り着いていくような感覚・・・
たった一つの些細な出来事から大きく神様の愛のイメージまで辿り着く感覚・・それは雲の動きから、風の動きから、海のさざ波から、大自然の様々な営みから、
神様の創造の御業まであらゆる角度から(上から下から、右から、左から)、
また様々な違う観点から思いを巡らせ、共感したり、感謝したり、感動したり・・・


兄弟姉妹を理解しようと努力していくうちに、その兄弟を愛している神様の愛に辿り着いたり・・昔生きた先祖の方々にまで思いを馳せたりしながらその先祖の心情に辿り着いたり、
未来に対しても時空を超越したような確信が出来たり・・・


神様が人間に与えてくださっている感性は、心が研かれれば研かれるほど鋭くなっていくのかもしれません。
しかも人間には霊性も備わっていて、直感とか・・第六感とか
霊人体があるので、霊的な感覚まで持てるように創造されている・・・


お父様のみ言葉の霊界のシステムを稼働させられるようになれば、どれ程日々の感動が増えるのでしょうか? 自分の感性を信じることは、自分を肯定することになって、人の悪いところも見えてしまうかもしれないのですが、それはすなわち神様の気持ちをより感じ取ることが出来ることにも繋がっているのかもしれないと思えるようになりました。


聖殿食口でも、よく兄弟姉妹の悪い話は聞きたくないと耳を塞ぎ、目を閉じる人が多いように思います。余り人と闘ってしまうような話は兄弟姉妹の話でも聞きたくないと耳をふさいでしまう。でもそれは、家庭連合時代に、教会長からネットは見ないようにといわれていて、信仰が揺らぐと困るので真実を見つめようとしない家庭連合食口にどこか似ている気がするのです。


例え見たくないような真実であったとしても、今こそ私達はそれを見つめて、正しい天一国文化の創建の為に努力をしなければならないと感じるからです。


主従関係のようなアベルカインではなく、兄弟姉妹としてのアベルカインの一体化を本当に勝利できる王・王妃となっていきたいと思います。





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