テネシー清平 霊連世協会はすぐそこまで 1
第55回真の神の日を迎えるにあたって何かと気ぜわしい中、この記事を読み始めてくださっている皆様に感謝致します。
王様が家庭連合に奪われたひとつひとつを取り戻す闘いは、本当に迅速に進んでいます。
思えば1年前大統領選が終わるや否や、王様は拠点をテキサス・リバティロックに、またフロリダにも・・そしてテネシー清平へと進めて行かれました。
王様が「テネシー清平の摂理」を始められてから早いもので既に半年が経ちました。
マクロ世界の混乱を抑える為にも王様はテネシー清平の開拓を急がれていらっしゃるというのは私達聖殿食口の共通の認識です。
土地の開墾、天一山までの道の整備、生命水の確保と配管工事、ウエルカムセンターの建設、射撃場整備・・と毎日韓日の老若男女の活躍で進められ、遂にトレーラーハウスの到着で極寒のテント生活も90日程で終わりました。
厳しい環境の中での大自然と共存するような歩みは神様・お父様との霊的な出会いが多くなされ神様と親子の深い絆を結んでいかれていると推測します。
奪われた清平を取り戻すと聞いてどんなに嬉しかったかは皆様も同様だと思いますので、今日の話題は私が清平で経験した不思議な霊的体験(クリスチャン女性との霊的対話)を振り返ってみたいと思います。
それは清平の恩恵の中で私にとって一番印象的だった出来事でした。
1997年4月頃に参加した修練会役事です。
それは6000名の宣教師を世界に派遣する為に開かれた修練会でその時4500名程清平役事に参加していたと記憶しています。
一人でも欠けたら駄目だといわれた4200名の宣教師たちは既にアフリカの国々に派遣されていて、その時何らかの事情があって宣教に行けなかった6000名を新たに送り出す決意を促す為の修練会です。
当時の私の事情をいえば、3才と0才(3か月)の娘がいました。
経済的にもとても難しい状況でした。
ですが、とにかくお父様が呼んでいらっしゃるというのを感じて、取りあえず清平だけは行こう。でも海外宣教は絶対に無理だと思って役事に参加していました。
緊迫したお父様の事情と、私の心霊基準があまりにも合わないので私はみ言葉を受けながら
最初から最後まで眠くて仕方がないのです。(相対基準が合わないのです。)
でも休憩時間になると私は目がさえみ言葉には飢えているので一番前の方を陣取るのですが、5分も経つと眠くなりまたうとうとし始めるのでした。
すると、ある時から眠りそうになると頭を叩かれるのです。
私は後ろの姉妹が起こしてくれていると思っていましたので、起こすならもっと優しく背中でも触って起こしてよ・・と思って後ろを振り向くとそんな様子がないのです。
じゃあ、わたしの頭をさっきから叩いているのは誰?と不思議に思っていました。
起こされても起こされても私は懲りずにうとうとし続け、遂に深い眠りに吸い込まれたその瞬間、今度は回し蹴りが飛んできたのです。
私は流石にハッとしてやっとただごとではないことに気が付き目がしっかり覚めました。
目の前に座っていた女性がどうやら空中から私を蹴ったのです。
この人誰?どうやって空中に浮いて私を蹴ったんだろう?と考えているうちにまた休憩時間に入りその頃には女性の姿は消えていました。
冷静に考えて私にしか見えていないようなので気になって修練会にやってきた霊だと分かりました。
不思議なことにその女性は、この修練会中ずっと私に現われ続け、語りかけてきました。
その女性の生きた時代や味わった体験までこの後私は知らされることになるのです。
先回の記事で天聖経から霊界装置の話を引用しましたが、私達は清平が出来て役事が始まるとお父様のいわれていたように時空を超越して霊界と繋がり、霊界のシステムによって、霊連世協会に向かっていることを予感させていただいた出来事でした。
詳しくは次回に続きます。
山口聖殿の礼拝に王様が荒野に行かれた2015年頃の映像がありました。
1:11:22にカーソルを合わせてそこから12分ぐらいが私のお勧めです。
全部ご覧になるととても長いです。
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