クリスタルのブログ

ミクロとマクロの観点から、王国の文化を理解し、イメージを膨らませていくことを目指すブログです。

信仰の原点のような「神様の目を気にする生き方」

皆様は、人からどのように見られているか?気になる事ってありませんか?
なるべくなら良い人と思われたいし、信仰者との評価を受けたいし、認められたい・・・
などの気持ちは誰しもが多かれ少なかれ持っているのではないでしょうか?


しかしそれらの気持ちは自分自身の行動を束縛してしまいます。
ありのままの姿で、正直に生きたいのに、どこか飾ってみたり・・・
兄弟姉妹に本音が言えずに、自分が出せなかったり・・・
兄弟姉妹との距離がいつまでも近くなれないでいる事ってありませんか?



実は、昔の私が滅茶苦茶そうでした。
そんな私を変えてくださる為に神様が私に準備してくださった環境がありました。今日は、そんな私の信仰数年目の頃の体験を記事にしたいと思います。



それは、忘れもしない1987年の私も主人とアメリカにいてお父様のマッチングを受けた年の事でした。実は主人と私はマッチングのあった時、一緒のミッション(責任分担)で毎日顔を合わせていました。
ある建物の中(工場)で、50人程のメンバーがそれぞれの仕事をしていました。
昼食や夕食は、日本人の兄弟姉妹が交代で作って食堂にウエスタンのメンバーも日本人のメンバーも食べにくるという日常でした。


あまり変化のない日常の中で、ある日突然二人がマッチングされてしまったのです。
ある意味工場中で本人は望まずとも自然と話題の中心になってしまいました。
みんな私達が、うまくいっているのか?闘っているのか?とても気になっているようでした。無理もありません。何故ならそこに働いていたほとんどがその時マッチングを受けているのですからおのずと気になってしまう環境でした。


私はそれがとても窮屈でした。
何故なら、ウエスタンのメンバーは私達の事を「あなたたちはマッチングを受けているのだから、もっと仲良くするべきだ」と言います。
また、日本のメンバーの多くは「まだ家庭を持つわけじゃないから、べたべたするべきじゃない」と見ています。つまり、私達は同じ行動をしているのに、考え方が180度違うのです。


それが来る日も来る日もそんなだと私は勝手に噂され、いろいろ言われる事にほとほと疲れてしまいました。私は次第に心情が追い込まれ、基準が下がりました。
「もうこんな窮屈なところは勘弁して欲しい。お父様、私はもう疲れてしまいました。」
そしていよいよ私は逃げ出したいと思うようになり、ある日
「限界です。助けてください。」と涙の祈祷をして休みました。



そんな時私はお父様の夢を見ました。
夢の中で、私は無邪気にお父様に着いて回っていて、最後いよいよ別れるという時、別れ際にお父様が、「人の物差しで右往左往するのではなく、神様の物差しでどんな時も見つめて行くんだね・・・」と云われたのです。
その言葉を受けて、あっそうかと思った時、私は目が覚めました。


私は、そうなんだ。人の計る物差しはその人の育ってきた環境などで、いろいろ変わるんだ。人の見方もそれぞれなんだ・・ところが神様の物差し・・
神様だったら何を喜ばれるのか?)だけを気にして生きれば迷わないんだ・・・と私は気づくことが出来ました。


それからは、人にどのように思われても構わない、神様の目だけを気にして
神様の前に負債のないように生きるように心がけて信仰生活をするようになりました。
私は行動に迷いがなくなりました。神様の目だけ気にするようにすると、なんともすっきりと歩むことが出来るようになりました。


夢でお父様に愛されて、心情が解放されるとすぐに、私は人事になったのでした。
私の状況も課題も復帰路程も全てを神様はご存知だったのでした。



マタイによる福音書6章19節から24節


19)あなたがたは自分のために、虫が食い、さびがつき、また、盗人らが押し入って盗み出すような地上に、宝をたくわえてはならない。
20)むしろ自分のため、虫も食わず、さびもつかず、また、盗人らが押し入って盗み出すこともない天に、宝をたくわえなさい。
21)あなたの宝のある所には、心もあるからである。
22)目はからだのあかりである。だから、あなたの目が澄んでおれば全身も明るいだろう。
23)しかし、あなたの目が悪ければ、全身も暗いだろう。だから、もしあなたの内なる光が暗ければ、その暗さは、どんなであろう。
24)だれも、ふたりの主人に兼ね仕えることはできない。一方を憎んで他方を愛し、あるいは、一方に親しんで他方をうとんじるからである。あなたがたは、神と富とに兼ね仕えることはできない。



マタイ福音書6章31節から34節


31)だから何を食べようか何を飲もうか、あるいは何を着ようかと言って思いわずらうな。
32)これらのものはみな、異邦人が切に求めているものである。あなたがたの天の父は、これらのものが、ことごとくあなたがたに必要であることをご存じである。
33)まず神の国と神の義とを求めなさい。そうすれば、これらのものは、すべて添えてあたえられるであろう。
34)だから、あすのことを思いわずらうな。あすのことは、あす自身が思いわずらうであろう。一日の苦労は、その日一日だけで十分である。




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