クリスタルのブログ

ミクロとマクロの観点から、王国の文化を理解し、イメージを膨らませていくことを目指すブログです。

テネシー清平 霊連世協会はすぐそこまで 4

前回の記事の続きです。


まだ、「テネシー清平 霊連世協会はすぐそこまで 1・2・3」を読まれてない方は、是非そちらからお読みください。



上の写真は懐かしい清平の忠誠の樹です。
4本の樹を訪ね求めながら、皆様も神様との関係性を求めて深い祈祷を捧げて来られたかと思います。今この韓国の清平の場所はサタンに奪われましたが、皆様の捧げて来られた精誠は天に宝として積まれている事を確信しています。



さて、本題の続きですが、6000名の宣教師を送る為の決意を促す修練会で、再三のクリスチャン女性の切実な訴えによって私の心は揺れて来ました。


宣教に行くなんて絶対に無理という心情から、段々と
神様とお父様の願いなら宣教に行くべきなのではないだろうか・・・」と



その時現実に引っ掛かっていたのは、経済的な問題です。


すると、修練会の中で証みたいなことが始まって、1000万の借金があるという姉妹が
それらすべての事情を越えて、「私は宣教に行きます。」というのです。
それを聞いて私の経済の悩みはもはや宣教に行けない事の理由にもならない程の小さな問題に思えて来たのでした。それで、「そこは何とかなる」という気持ちになれました。
私の中で行けない理由のひとつが消えました。


次に行けない理由の最大の問題は、子どもたちのことです。
0才と3才のふたりの娘をどうしたらいいのかがその時の私にはわかりませんでした。



上の写真は当時の子どもたちです。夫は仕事が大変忙しく帰りが夜の10時とかになることもありました。そんな中で夫だけで子どもの面倒をみるのは現実的に難しいのでやはり宣教は無理なんですよと、修練会中私を熱心に説得しているクリスチャン女性にも語りかけたりしていました。


このような葛藤の中一日のスケジュールが終わって祈って休んだ早朝の事です。


私は急に誰かに足を引っ張られて目が覚めてしまいました。
時計を見るとまだ早すぎて辺りはシーンと寝静まって誰も起きていません。


私は既に目が覚めてしまったので、少し早いけど祝福の樹まで登って来ようと立ち上がって薄暗いなか修練場の横の坂を登り始めたのでした。


宣教に行くには子どもたちを面倒みてくれる人が必要だけど・・
そんなこと頼める人もいないし・・・
保育園でもそんな遅くまで見てくれる保育園なんてあるわけないから・・・
お父様、やはり私には方法がありません。


などと考えながらひたすら登って、祝福の樹で必死に祈ってもみましたが、
何の解決策も出せないまま悶々とした気持ちで私は頂上から降りて行きました。


祝福の樹の急な所を下ると平らな一本道がしばらく続くところがありますが、ふと視線を前に向けるとなんと向こうから霊の親(正確には霊のおばあちゃんなのですが)が歩いて来るではありませんか。


私はびっくりして、エッー、嘘でしょう
こんな4500人ぐらいが参加している清平のこんな上の所でばったり霊の親と会うなんて奇跡的だと思いました。


そして、次の瞬間
「あっそうだ、私はさっき誰かに起こされてここに早めに登ってきたんだった。」
ということは・・とまた考えていくと、 
まさかでしょ? つまり時間的な事もちゃんと計算されていて、
「神様が私と霊の親とが劇的にこの一本道で会えるようにセットしてくださっていたんだ」
「これはすごい。聖霊の役事ってこんなことも可能にするんだ」と思いました。


でもその時はまだ、霊の親にここで会えたのは奇跡といえば奇跡かもしれないけど、
それがどうしたっていうの?と私は思っていました。
なぜなら霊の親は病気がちでとても子どもの面倒なんか頼める人ではなかったからです。


でも、待てよ
霊の親には頼めないけと、こんな山上で4500人の中で2人が会えたってことは、奇跡的なことなので、何か他に方法が見つかるってことかも知れない・・
という思いに導かれた瞬間に突然私の中に稲妻が走りました。
私を今までこの心情を至らせるために導いてくださっていた神様の霊スッー
私を包みこんで神様の愛に触れて何とも満たされた感じになりました。


ああ、そうか、そのことを私に伝えたかったんだ。
ああ~そういうことなんだ、何か方法があるんですね。
お父様、私には宣教に行ける希望が出てきました。
私はその方法を探し出して必ず宣教に行きます・・・
見ていてください。
私はお父様との約束を果たします。


という具合に宣教に対してやっと前向きに思えたその時、
今度は突然に何やら”カサカサ”と音が鳴り響き出したのです。
とてもリズミカルに”カサ カサ カサ カサ・・・


何処から聞こえて来るのだろうー
このなんとも耳障りのいい音楽にもなりそうな優しい”カサカサ”という音・・・


この音は木に残っている枯れ葉がこすれて鳴っているんだと思って私はその時とっさにそばにあった木を見上げてみました。



私は最初風が吹いているのかなと思いましたが、風なんかちっとも吹いていないのです。
風によって動いているのではなくて、それはどう考えても規則的過ぎて普通にはありえないような不思議な動きなのです。


木に残っている今にも落ちそうな枯れ葉が、2枚ずつまるで〝パチ パチ パチ パチ”と拍手をするように何ともリズミカルに動いているのです。



霊たちがたくさん集まって意図的に動かしているとしか考えられない機械的な動きなのです。それはまるで拍手のような動きです。


そうです。私はその時拍手喝采を浴びたのです。


神様がそうされたのが分かりました。
私の心情が変わって、子どもたちの問題は何か必ず方法があることを確信し、宣教に行きますと決意したので、聖霊が枯葉を2枚ずつ動かして拍手を送って来ていたのです。


私は感動で目がうるうるして良く見えないので、目をこすりながら、そこに立つくし
暫く見事なその枯れ葉の拍手を見つめながら、神様に感謝しました。


エッー聖霊の役事ってこんなことも出来るのですねー


それにしても、私の心情のこんな変化まで、神様あなたは見ていてくださり、聖霊によってこんな形で神様に繋がっている事を示してくださっていることが、嬉しくて嬉しくて


暫くその場に立ち止まって拍手なのような枯れ葉のリズムにすっかり癒された後、
私はさっきまでの重い心情とは一転、身も心も軽くなり、ルンルン気分で晴れやかに山を降りて行ったのでした。



聖霊の役事はこの後も違う形で続いていきましたが、それは次回に書いていきます。



2022年2月9日(水)今日のみ言 「天地の大道、父と子の解怨」からの引用


天側に立って父を呼び、天側に立って父の立場を代弁し、天側に立って父の代わりに恩讐と対決できる人を、父は探しておられる。そのような息子がいれば骨が砕けるほど抱き締めたくそのような娘がいれば、夜が明けるまでご自身の事情を語り明かしたい父である。
1968/6/9






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