裸の王様的家庭連合②徳野会長の言葉
アメリカでは、お父様の関心はボートであり、釣りであり、海洋摂理でしたので、多くのみ言葉は海に関するものでした。
言うまでもなく、日本では経済摂理を担当していましたので、み言葉はそれに繋がるものに絞られていました。その激しかったこと、私達は当時アメリカから何とか主人の実家まで帰ってきましたが、その時には所持金は殆んどありませんでした。「私達は今は何もないけど、マイナスではないからまだいいんだよね。」と言いながら日本での生活を出発させたことを昨日のことのように思い出します。
それでも、その経済でお父様の摂理が進んで行くならと、みんな必死で闘って日本の使命を果たして来たのだと思いますが、日本に帰って来た時、「わあ、これが日本のアベル・カインだ」と正直、時代が旧約時代にさかのぼったように感じました。昔日本で歩んでいた頃はこんな感じだったのかと思い出したのです。
お父様はあの当時多くの責任者をアメリカに送っていましたし、交換人事もたくさんされていました。日本に帰って責任者たちと接する中で、日本の責任者は一度海外に出ればいいのにと私はずっとそのように感じていました。
宣教地でもそうですが、海外で責任者をされてこそ本来の責任者たる実力(愛の人格)が訓練されるように感じていました。海外で素晴らしい責任者にたくさん出会わせていただきました。その海外での歩みと出会いに感謝したいです。
ゴルバチョフ前ソ連大統領と午餐会談 (1994.3.26 ソウル漢南洞国際研修院)です。
そして、日本で長く責任者をすると、何でもいう事を聞いてくれて、反対の意見も出さない。自分を神様のように扱ってくれる食口たちを前にして、段々感覚がおかしくなってしまうのではないかと思えてならないのです。
しかも本人が気づかない内に自分が勝利者のような傲慢な態度になってしまう責任者を多く見て来たと思うのです。(悲しいかな、ここ地元ではそうでした。)
前にも記事にしましたが、20年以上婦人部長は変わっていませんので、今も経済を巡って兄弟がつまづく事件は相変わらす起きているようですが、ただ今のP教区長に対してはお会いしたことがないので分かりませんと付け加えておきます。
さて本題の徳野会長の言葉ですが、お父様が聖和された頃、私が宣教地ジョージア(グルジア)の総班長で徳野会長が東北大陸の大陸会長をされていた時の話です。その時何度も耳にしたのが、「日本で長く婦人部長をすると感覚がおかしくなってしまう。皆さん上手くやってください。」という徳野会長の言葉です。それは、当時東北大陸の17か国の国家メシヤの先生方や宣教師たちの前で何度か語られていますので覚えていらっしゃる方も多いと思います。
東北大陸の摂理を進める為に、宣教師たちから現地に送る経済を集めなければならなかった為、「皆さん上手くやってください。」というのは、「地区の婦人部長と闘わないようにしてください。問題をおこさないようにしてください。」という意味です。
それにしても徳野会長が言われていた「婦人部長は感覚がおかしくなっている」をいう言葉は今でもそう思っていらっしゃるのでしょうか?それとも今立場が違うと「婦人部長は素晴らしい信仰者ですよ。皆さん」という事になるのでしょうか?
その言葉をそのまま使わせていただけば、婦人部長に限らず、「日本で長く責任者をすると感覚がおかしくなってしまう。」のでは?と正直思うのです。
食口たちは、そんな感覚で半分呆れながらもアベルに対して見ている方も多いようにも思います。もちろん、責任者は絶対ですので疑問を持ったら罪ですから、ひたすら支えている素晴らしい信仰者(家庭連合から見るとですが、正直私はそうは思っていないのです。)たちも多くいらっしゃると思いますが。
責任者を支えているスタッフたちの権力(圧力)の前に正しい事が正しいとされないので、みんな諦めて意見さえ言わくなっているようです。言ったら嫌われて迫害も受けます。責任を持たなくなっているというべきか?考えなくなっているというべきか?少なくとも地元の家庭連合では私はそう感じていました。
それでもそれに立ち向かっている先輩方はいらっしゃいましたし、つい最近もおかしなこと(事件)があったようですが、相変わらず矛盾だらけで大変な様子ですが頑張って欲しいとエールを送りたい気持ちでいっぱいです。
それにしても私がサンクチュアリに来る前にはそんな権力と矛盾に一緒に闘って来た仲間ですから、私はそんな先輩たちに「お母様や、幹部たちからして違っているのだから、家庭連合でいくら努力しても、闇は深すぎるので難しいですよ。それより亨進様について行った方が早く家庭連合も救えますよ。」と声を大にして言いたいのです。
いいえ、何度も言っているのですが、お母様が正しいと思っているので心に響かないというのが正確な状況です。
家庭連合の責任者たちを見るとまさに前にも記事に書いたのですが、裸の王様のように感じてしまいます。自分には全て(洋服)があるように勘違いしているように見えるのです。食口たちと比べて同じ堕落人間であり、(神様から見たら大して変わらないと思うのですが、)自分が特別な信仰や愛を思っていると勘違いしている裸の王様(洋服があると思って堂々と歩き続ける)状態に見えてしまうのです。
兄弟姉妹を主管する位置を自分たちが如何に保つかという人間的な打算が入った組織運営は、もしかしたら会社組織以下だと感じるようにもなりました。私が勤める会社でも位置のある者はすごく謙虚な姿で語るからです。
これは私の率直な感想ですが、徳野会長が東北大陸の会長をされていた時、私は総班長としての責任もあったからですが、月に一度の徳野会長の礼拝によく神奈川まで行って参加していました。その当時の徳野会長のみ言葉の方が、その後日本の会長になられてからのみ言葉よりずっと感動していました。あの時の方が切実感もあったし真心から純粋にお父様の証がたくさん語られていたのだと記憶しています。
最近の徳野会長のみ言葉には、裸の王様的要素が強くなってしまったのではないかと思えてしまうのです。お世話になった徳野会長に対して本当に失礼な事を言って申し訳ありません。でもこれは私の率直な感想なので許して下さいますようにお願い致します。
まだお母様や幹部のことについて、殆んど何も知らない時だったと思うのですが、日本の会長になられてからの徳野会長のみ言葉には感動を覚えなくなっていたのです。
もちろん、地元の家庭連合の教区長のみ言葉も然りです。
サンクチュアリに来てから、亨進様やヨナ様や国進様、また江利川会長などのみ言葉を聞く機会が多くなって、これこそお父様の香り漂うみ言葉だと感動や発見があもりにも多くて比べてしまったのかもしれません。その差は歴然としています。比べてみたら分かります。
何故こんなにも違うのか、この感動を今の家庭連合の食口たちにも伝えたいのに、なかなかそう出来なくて自分がとてももどかしいです。
家庭連合の方達にも是非一度自分の目と耳と感覚でその違いを味わっていただきたいなと思ってしまいます。愛する家庭連合の皆様、どうか一度聞いてみてください。
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