クリスタルのブログ

ミクロとマクロの観点から、王国の文化を理解し、イメージを膨らませていくことを目指すブログです。

お母様の聖酒を実は重要視していない地元家庭連合

秋です。紅葉が綺麗な季節となり、自宅の近くにある山の木々もやっと色付き始めています。神様の色彩は本当に美しく、清く、心が洗われるようです。



地元家庭連合では、お母様からの聖酒を重要視しているように思えませんが、他の県では
どうなのでしょうか?最近沈黙している地元家庭連合について記事にしたいと思います。


何故沈黙か?それは地元家庭連合では4大聖物の聖酒を飲んでいない家庭があっても最近は全然飲むように勧めていないのです。いろいろと騒ぎになって他の兄弟姉妹に「えっ、あの家庭もサンクチュアリなの?」と気づかれてしまうより沈黙していた方が都合がいいと判断したような感じなのです。


また、少し家庭連合から距離を置いている家庭に対しても、聖酒を飲むように普通なら誘ったりすると思うのですが最近ではそれもしている様子がありません。


またサンクチュアリに来た家庭に対しても呼び戻す努力もしなくなっているのです。
Yさんを一生懸命説得して無理矢理一旦は家庭連合に戻したものの、その後Yさんが再度退会届を出してサンクチュアリに戻って来てしまったこともあり懲りてしまったのでしょうか?真相は分かりませんがとにかく何の努力もしていないのも何とも不思議です。


礼拝には参加しているのに聖酒は飲んでいない家庭があっても、決して飲むように勧めないというのですからあり得ないような話です。何もしないという事は、家庭連合のスタッフたちも実は「その聖酒にはあまり意味がない!!」と思っているのでしょうか?



相変わらず経済の実績を求める地元家庭連合


そんな地元の家庭連合ですが、経済実績を得る事に関しては今だに必死にこだわっています。他に実績が流れるのは許せないようで、未だに理不尽なことをしているのです。


そんなにしてまで実績が必要な理由は何でしょうか?本当に神様の為でしょうか?
それとも自分たちの評価に繋がるからなのでしょうか?


聖酒を飲ませようとしないのは本部がその数に対して評価しないからなのでしょうか? 
それとも実は自分たちも、お母様からの聖酒は重要だと思っていないのでしょうか?
家庭連合を見ているといろんな疑問が沸いてきますが、今家庭連合に残っている食口たちが何故いろんな疑問が沸かないのだろうか?とそれが本当に不思議なのです。



最近地元の家庭連合であった理不尽な事


地元家庭連合には篤志家部長という人がいるのですが、その部長が担当している篤志家と呼ばれる食口〇〇さんを巡って起きた最近のことを少し書いてみたいと思います。


ある時区域長が〇〇さんと会うような計画を立てたり、区域として何かしようとすると、その時に限って、篤志家部長が〇〇さんを直接呼び出したりするのでやりにくいと話していました。「何か行動しようとするとそうなるので、勝手にやったらいいと思い何もしたくなくなる。」と話していたのです。


つまり、「私(篤志家部長)がやっているから手を出さないで」という事みたいだというのです。〇〇さん本人もそれには違和感があり、「私って特別扱い?」と姉妹に聞いたりしているのです。いつまでもゲスト扱いみたいなので、あまり気持ちがよくないのだと思います。これだけ聞いても不思議な地元の家庭連合なのです。


そして、私達はもし何か心配なことがあれば普通は信用出来る情の近い人に相談します。
今回〇〇さんがこの篤志家部長ではなく他の食口に家庭の事など相談したことにより理不尽な事が発生してしまったようです。


〇〇さんの詳しい事情は個人情報なので避けますが、新しい出発もあって万物をその食口から授かったというのです。本人も納得しているのですが、それを知った篤志家部長がそれをキャンセルして、自分たちから買うように勧めたらしいのです。何としてでも自分たちの実績に結び付けたかったようです。私がその話を聞いた時「教区長さんが私達から買うように願っているのよ。」といういつもの決まり文句が聞こえて来るようでした。


〇〇さんはそんな事を言われて混乱し悩んだのですが、一度決めたことなのでそのままにすると決心したらしいのです。すると今度は教区長と篤志家部長がわざわざ〇〇さんを訪ねて行って、清平で先祖解怨をするようにと言ったというのです。
そしてそうせざるを得なくなったと聞きました。
ご存知のように今先祖解怨すると、教区の実績になるのです。


聖酒は評価されない?ので何も努力をしないのに、自分たちの評価に繋がる経済に対してだけは、キャンセルさせてまで実績が欲しいというわけです。相変わらずおかしな事を平気でまかり通す地元家庭連合のようです。


その後教区長が婦人部長に「1800双などを何故主管出来ないのか?」と言われたそうですが、「先輩家庭を主管する?」という言葉は何とも気持ちの悪い響きです。
主管ではなく、自由と責任で歩ませてはもらえないのでしょうか?と言いたくなります。


もしも、意見を言う人がいれば、その人をカイン的な人呼ばわりで圧力で抑えてしまうのが、地元家庭連合の体質です。意見を言っても聞いてもらえない経験が何年も積み重なって来ましたから考えることすらしなくなってしまったのかもしれません。
最も、いつも教区長の一人舞台なので、集会などあっても家庭同士の交流も少ないのです。みんな日曜日に礼拝に行く事ぐらいになっていますから、いろんな事がどうでも良くなっているのかもしれません。


死んでいる組織とはこういう状態をいうのだと思います。
日々何を目的として動いているのでしょうか?
自分たちが本部から評価される為に動いているのでしょうか?
兄弟姉妹の永遠の命の為に動いているのでしょうか?
いつも思うのですが、不思議な家庭連合の姿です。



兄弟姉妹の心を動かす和動とは?


それにしてもその篤志家部長は何故兄弟姉妹の心をつかめなかったのでしょうか?
それにはいろんな理由があると思うのですが、悩んでいることに対していつも昔から変わらない脅しのような因縁トークなので聞く方も嫌になっているのかもしれません。
また兄弟姉妹なのに「先生トーク?」上から目線の話し方であったり、すぐに報告される体制も嫌だったのかもしれません。


もし私が兄弟姉妹の話を聞くとしたら、その話の内容は、私にも必要な事であり、神様がその姉妹を通して私にも教えて下さっていると思って話を聞かせていただくようにしています。そして、その姉妹の事を本当に心配して話を聞くことができれば、神様がその方をどれ程心配されているのかという神様の愛の心情が私の中に伝わってくると思うからです。


そうなれば何を語ったら良いのか、神様が私に代わってその方に語って欲しい言葉が与えられるように思うのです。それを話す時も、何々した方がいいとか結論は言わないように気をつけます。結論や決意はあくまで本人自身が声に出さなければならないと思うからです。本人の5パーセント(自由と責任)を奪わないように気をつけます。
神様が私を通して働いてくださってこそその言葉が兄弟姉妹を導くことが出来ると思うからです。(すみません。何も出来てない私が余計ことを書いてしまったかもしれません。)



ある食口が不慮の事故で聖和された時のこと


2年程前、地元家庭連合のある食口が突然不慮の事故で亡くなってしまいました。
その時その篤志家部長が「不一致の為にその食口が犠牲になった」と礼拝後に前に出て言ったらしいのです。まるで「自分たちと一致して」と言わんばかりの波動だったというのです。その発言があった時実は私はその場にいませんでしたが、その食口の聖和式に行ってみたら、そのことが話題になっていて、口論にまでなっていたので知ることとなったのです。食口の命が亡くなってみんな衝撃を受けているまさにその時に兄弟姉妹に反省を促すような「不一致で犠牲になった」という発言にはさすがに多くの食口が違和感を覚えたようでした。


自分を省みる心が家庭連合スタッフになければ、理不尽な出来事が何度も起こり、何年経っても同じ事の繰り返しではないかと思うのです。
いつも自分たちは正しいという発想はどのようにして生まれてしまったのでしょうか?


お父様がお母様に対して、「自分の血統を誇ってはいけない。」と言われたことが思い出されます。正午定着をめざす私達は自分こそが正しいと誇ってはいけないのかもしれません。


お母様は、2014年10月27日に指導者たちを前にこのように語り、ご自分を誇っていらっしゃいますので、お父様がしてはいけないと言われたご自身を誇る道に行ってしまわれました。


経済実積中心主義は、本部から? 幹部から? それとも、お母様から?


ちなみに今アメリカに対する日本からの経済的支援はゼロになっているらしいのです。
すでにニューヨーカーホテルは売却したのと同じような状況になっていますし、ボストン教会も売却の方向で進んでいるようです。ですから自分たちが公費を貰い続ける為には経済に対しての実積を確保し、自分たちの立場を守り続けなければならないようです。
だから、本部は食口の永遠の命よりも経済実績を求めるのでしょうか?


食口の命より経済を追い求めて行動してしまう地元家庭連合の教区長とスタッフ
自分たちが反省することなく食口に反省を促してしまう地元家庭連合の教区長とスタッフ
兄弟を主管しようとする上から目線の地元家庭連合の教区長とスタッフ


残念ながら何かが本然と違うような気がします。




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