クリスタルのブログ

ミクロとマクロの観点から、王国の文化を理解し、イメージを膨らませていくことを目指すブログです。

お母様によって経典が変わった事の影響

まさかお母様が最後の最後にこんな風にお父様を裏切るなんて今でも信じられないような気持ちです。あのお母様が、どうして・・・と思われている方はまだまだ多くいらっしゃると思うのです。本来の対象の位置を離れ、ご自身が独占女であり、無原罪と語られるまでに何故なってしまったのでしょうか?


まずお父様がお母様を愛して来られ軌跡を少しだけ振り返ってみたいと思います。


当時17歳だったお若いお母様と1960年の祝福式をされて以来、お母様を育て、再臨主の花嫁として育んで来られたお父様でした。


お母様は、次々とご子女様を出産され、み旨の中でどれ程の努力を積み重ねて来られたか
計り知れなません。とりわけご子女様の教育には熱心だったと聞いています。



今振り返ってみて思うのですが、イーストガーデンの辺りは、最近ずっと亨進様が語られている金融資本家たちが多く住んでいた所だそうです。
お父様はその頃から、亨進様が暴露されているような金融資本家達の構造を分かっていらっしゃりながらも、ベルベディアに乗り込んで行かれたことがみ言葉に残っています。


ご子女様たちがその当時通っていた小学校にはその資本家の孫達が多く通っていたそうです。そんな中で校門で待ちぶせされてはカバンを持って行かれるなどご子女様たちはいじめにあっていたと聞いていました。


その当時私は公文式のような教育方法で、日本語教育をするミッションをしていて、週末になるとホワイトハウスと呼ばれていた神山隊長のお宅に伺っていましたので、そこでご子女様たちと身近に接する機会がたまにありました。


ご子女様たちはもちろん元気に子供らしく自由にホワイトハウスの外や中を走り回って遊んでいましたが、私達食口にとってのご子女様は恐れ多い存在で小さいお子様たちでありながらも、王子王女に侍るような気持ちで接していましたので、ご子女様たちの外の世界(小学校など)とのギャップはどれ程大きかったでしょうか?


誉進様や仁進様などがお母様の代わりになってそのいじめなどの学校の問題に対処していたと、ベルベディアで涙ながらに語って下さった事がとても衝撃的で今でも忘れられません。


お父様に育てられたと語られるお母様


下のお写真はお母様ご自身がお父様が「全身で教えて下さったのです。」と明かされているYou Tubeの画面を写真にしたものです。お父様はお母様に対して一生懸命に教えてくださったとご自身が語られているのに、なぜ今「私は誰からも教育されていません。」などと嘘を言われるのでしょうか?あのけな気な美しいお母様は何処に行ってしまったのでしょうか?



その後1992年には、お父様はお母様を世界平和女性連合の総裁とされながら「女性時代の到来」を宣布されました。お父様はお母様をその女性時代をリードするにふさわしい女性になるように導かれました。そして7年間の母子協助時代を見事にお母様を勝利に導いて来られたお父様でした。


その長い長い道のりの中で、1999年6月14日に母子協助時代7年路程の終了を宣布されると共に、お母様を表彰されたお父様でした。

 



母子協助時代から父子協助時代へ


その後、1999年9月9日9時9分9秒に「長子権・父母権・王権」を天の前に奉献され、「天地父母天宙統一解放圏」を宣布されました。


「今までの復帰歴史においては母子が協助してきましたが、母子協助時代が過ぎ去るのです。蕩減の歴史は母子オモニと息子娘が犠牲となって復帰されましたが、9.9節を宣布して南北が統一される運勢に入り、父子協助時代に入るのです。オモニはいなくてもかまいません。オモニはいくらでも探し立てることができます。」

                  (み言葉選集303巻 P264)


お母様はその間に計り知れない試練をお父様のお蔭でどれ程乗り越えて来られたのでしょうか? そのすべての栄光をお父様に返していらっしゃったあの美しいお母様は何処に行ってしまったのでしょうか?


お父様を大先生と呼んでいらっしゃった大先輩の方は、お母様はこのころからおかしかったと言われていました。こうなってみて初めて口にされたようでしたが、その大先輩の方はお父様しか信じられなかったようです。


父子協助時代を2000年11月11日に宣言されましたが、この母子協助時代から父子協助時代に移行される1999年から2000年あたりは、「お母様のいう事を聞いてはいけない」とか、「オモニはいなくてもいい」などとお父様が何度も語られていたことは、実は私自身の記憶にはほとんど残っていませんでした。


ですから、ましてやそれがどういう意味であったかなどは、その当時考える由もありませんでした。お父様の心情圏からは、どこまでも程遠い自分自身である事をつくづく痛感する次第です。


お母様によって経典が変わったことへの影響


私は実際女性連合で歩んできたので、女性連合の理事たちがされる摂理史や女性連合の使命などの講義には考えてみれば父子協助時代の話はすっぽり抜け落ちていました。あの当時人任せで自分自身で勉強しない私はその事実に気が付きませんでした。


それどころか、私はお母様が摂理の中心のようなみ言葉ばかりを拾って好んで読んで、それを力に歩んでいました。考えてみれば、お父様聖和以降に出版された本は、お母様中心に摂理が動いているような編集がされていて、とても危険な状態になっていたことが今になって分かったのです。


最近ではみ言葉を読む時に、いちいち何年に出版された本かを確認して読んでいますが、そんな確認をしないと安心してみ言葉が読めないなんてお母様や幹部達は本当に大変な事をされたと改めて、み言葉を改竄することへの影響を恐ろしく思います。
これからの人類が今の聖書のように手にして読むであろう経典に対して、なんという恐るべきことをしてしまったのかと血の気が引くような思いなのです。


自分たちが家庭連合との問題で、このように経典が変わってしまうことを体験して、歴史的にこのように書き換えられてきたし宗派も分かれてきたことが不幸にも身近なこととして感じられるようになってしまいました。


亨進様がお母様が経典を変えようとされていると分かった時、「オモニそれをしてはいけません。それをしたら永遠に私達はひとつになれません。」と言われていたことが、今になってどれ程の事だったのかと遅ればせながら感じれるようになったのです。


このあたりの詳しいみ言葉は「原理講論を読むさんのブログ」の記事に詳しく載っていましたので読まれてない方は是非ご覧ください。
韓鶴子オモニの失敗をアボジのみ言葉で悟れ! 食口達が集めた父子協助時代に対するみ言葉に学ぶ - 原理講論を読む


最後に最近9月25日の礼拝で江利川会長が摂理史を詳しく語って下さっていますので、まだ視聴されてない方の為に画像を見れるようにしました。とても分かりやすいです。



摂理史と先祖解怨祝福式
  
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